私はアラフォー独身の女性です。
ASD、ADHDなどがあり、障害者手帳を持っている、障害者です。
診断は、30代に入ってからですが、いわゆる二次障害で中学生の頃から過敏性腸症候群、抜毛症などありました。
どうして自分がうまくいかないのか、いつも苦しいのか分からないまま進学し、就職し、なかなか仕事も続かずいろいろあって障害の診断に至り、作業所で働いています。障害年金は審査を通らなかったため、受給していません。
もう40歳が見えてくる年になりました。
実家で家族と暮らしており、助けを得て、今のところは毎日の衣食住は足りている状態です。
ただ、多くの障害者の方がやがて直面する、親亡き後の当事者の暮らしについて考える時期に差し掛かり、なんとなく親の老いと死について思いをよぎらせることが増えました。
それは、強烈な不安と恐怖を伴うもので、受け入れがたいもので、今も折り合いをつけることはできません。きっと多くの人がそういった思いと共に生きておられると思います。
住んでいる自治体の福祉課、支援センター、通院している病院の主治医に相談したところ、グループホームを勧められました。
今後のことを考えた時、どういう選択をするのがベストなのか、正解はありません。
ただ、グループホームに暮らす自分のことは想像できませんでした。

障害者が、結婚するという選択。ASD・ADHDの女性が家族を作るというチャレンジングな人生。
さまざまな意見があると思います。ここ4年ほど、結婚をしていいのかどうか悩んできました。決断を先延ばしにしながら、目の前にあることだけをこなしてきました。
そして、ここまで年を重ねました。
「障害があっても、結婚してもいいですか?」
病院に受診する度、先生に聞きたいけど聞けず、飲み込んできた言葉です。
私が通院している国立の精神医療センターー多くの医師を擁し、その多くの先生方は全国各地から研修を兼ねて外来患者を診られている方々です。
急な退職が何度もあり、そして、1か月前、また主治医が変わりました。
今がタイミングかもしれない。
そう思いました。このモヤモヤしたものを抱えながらまた数年過ごすことになる、そう思いました。受診のたびに作ってくるA41枚のメモに、「結婚・妊娠を考えていますが不安です」と書きました。
先生は、私の方に近づいてきて、今服薬している薬は妊娠に影響が少ないものであること、病気であっても障害者であっても当然結婚している人も出産している人もいることを伝えられました。
心の澱が解けていくようでした。

どうすれば障害者でも結婚できるか、妊娠・出産を乗り越えていけるか。
先生が言われた言葉の中に「誰にとっても結婚や出産、子育てはチャレンジングなもの」というものがありました。変化が多くそれに対応していくことは簡単なことではないのだと思います。
そして「相談ができる環境を整えておくこと」とはっきり言われました。
私のこれまでの数々のきつい試練は、この部分が欠けていたために起きたことだとも考えています。
「相談することが出来る」というのは非常に大切なスキルです。
今後、どう進んでいくか、紆余曲折、波乱万丈、さまざまな喜怒哀楽の日常をここに書いていこうと思います。
