発達障害が、出生前診断で判定できるようになったら世の中はどうなるのか。成人当事者がぼんやり考えていたこと。

発達障害がある人は、一人一人違います。
仕事をしている人もいれば、引きこもっている人もいます。不登校の人、作業所で働いている人、結婚している人、子どもがいる人、”才能”を発揮して”成功”している人もいます。

障害が軽いとか重いとかをはかることは難しいことです。

ここでは、自閉症と発達障害を特に区別せず語っていきますが、これらは研究が進んできている分野です。特性の違いは人それぞれあっても、自閉脳というものがあることはすでに世界で知られていることです。

頑なに、障害であることを認めない人もいます。
多くの場合、それは本人よりも親がそうであるようなのですが、障害であることを「悪いこと」「劣っていること」「欠けていること」と信じていれば、障害が他人事でなく自分事として近付いてきたときに、冷静ではいられないかもしれません。

妊娠して子どもを産む女性が「障害がある子がいいです」とは言いません。きっと、少子化対策に予算を投じ様々な施策を打ち出す政府が想定する「子ども」の中に、障害児はいないでしょう。

障害児・障害者は望まれていない。それは、障害者手帳をもつ私自身が、感じることです。

障害を悪いものとするなら、それが生まれてこないようにするのが「良いこと」なのかもしれません。例えば、出生前に障害の有無を正確に調べるようにする、出生前診断で調べられる障害の種類を増やす。
医療が進めば障害児が増えることを抑えることは、できるかもしれません。
倫理的な問題で表に出ていないだけで、本当はもうできるのかもしれません。

時々思うのです。
ダウン症は出生前診断でわかる。もし、発達障害であるかどうかがわかったら、世の中はどうなるのだろうかと。

親は妊娠を継続するでしょうか。”次の可能性”に賭けたりして中断するでしょうか。

私はよく、思うことがあります。
実家が農家で収穫作業を手伝います。ときどきとんでもない形をした野菜があるのです。あきらかな奇形です。ひとつの玉ねぎの中にたくさんの玉ねぎが入っているような異常なもの、分裂したようなもの、腐ったもの・・・
数センチ隣に植わった玉ねぎには異常はないのに、突然ポッと、ギョッとするような個体が登場するのです。

それはコンテナに入れられず畝の隅に捨てられるのですが、どんなに野菜を作り続けても、頭のいい人が農業を研究しても、そういう”異常な”玉ねぎはゼロにはなりません。

別にそんなたまねぎを見ても、蔑むことはありません。ただ、すごいなこんなのもあるのか、と思う程度のことです。
障害って、こういうものかなと。
ない方がいいけど、広い畑の中でほんの少ない割合で絶対出てくるもの。
出荷基準に入る良品はだいたいすべてよく似ていますが、特異なものはまったく様子が違います。

だから何だよって話ですが。
障害があってもいいとか言えるほど、今の世の中は障害者に優しくはありません。だけど、玉ねぎみたいに捨てられはしないですね。

私は、障害について深く考えて答えにたどり着くほど達観したわけではありません。ただ何となくそんなことを考えただけのこと。

形は異常で多分なんか持ってるし、食べられはしないけど、観賞用として珍しがられたり、ちょっと変な色してたり、すごいにおいを醸してたり、ちょっと違ったたまねぎとして捨てられなかった個体は、爆発的に成功してるんじゃないかなと思ったりなんだりしています。

普通は黒い鳥なのに、たまに生まれる白いアルビノの鳥みたいに、ただきれいなだけならいいんですけど、やっぱり発達障害って障害なんで、なんか問題おこしがちなんですけど、それでも種を絶やしてゼロにするのがいいよねって全会一致で決められるものでもないのかなと思ったりしています。

他の障害は?とかそんなことは分からないです。
ただ、私が発達障害なんでそんなことを考えていました。
おしまい。
どう閉じたらいいか分からなかったんでしゃべり口調になっちゃったよ。おやすみ。


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