上だとか下だとか。

障害者手帳の更新をしました。もう何度目でしょうか。
私は障害者として働いていますが、心身の調子がよい時は、仕事もプライベートも「本当はもっとできるのではないか」と思うことがあります。
(見た目ではわからない障害で、数少ない身内以外は自身の障害を知らない、ということも手伝っているのかもしません。職場や病院にいるとき以外、周りは私を健常者として接するわけです。)

実際は、正社員で働くなんて考えられないのに、等身大の自分を見失ってしまうような時期がしばしば来るのです。
少し頭がすっきりしているとき、睡眠がよくとれて、これといった悩みがなく、自分にとっていいニュースが入った時、この現象は起こりやすいようです。

やはり、正社員>非正規雇用≥障害者雇用 のような価値観があるのでしょうか。
(ここにイコールをあえて入れるところに、いくつかの意味を含めておこうと思います)

もっとできるような気がするとき、「上」を見ているのだと思います。
その「上」の正体を、ときどき考えます。

どうして正社員にこだわるのだろう。
終身雇用は終わったとか、自由に働くライフスタイルとか、新しい視座があるのは分かっていても、それは結局まだ弱くて、「酸っぱい葡萄」のような、結局掴めなかったものに、価値は低いと口をとがらせているような、すっきりしないものがあるのです。

今の自分を認めたような気がしていても、どこかまだ、羨ましさは確実に、ある。

ストレートに言ってしまえば、私の大学時代の友人たちは、公務員、大企業の社員として稼いでいるのに、私はどうしてこれだけしか稼げないんだろう、と思うことがあります。
その思いは、以前は涙を流して苦しむほど、辛いものでした。

たまたま同じ環境にいただけで、能力の違い、努力の違いがあったことを認められないのです。
障害者として、障害年金を受けることもできず、障害者としても中途半端だと思うこともあります。

この思考に至るとき、もう一度「私には無理だ」ということを再確認する経路をとぼとぼと歩き始めるのです。何度も何度も、私はこの道を往復しました。

1日8時間、人のいる職場にいるだけでも息が詰まります。
それが週に5日もあるなんて。どんな心身の状態であったとしても毎日同じ時間に決められたことを始めるというハードルの高さ。
急に来客に対応したり、電話に出たり・・・
常に対応しなければなりません。

私はその働き方を、心身のバランスをとりながら続けることが出来ません。

人を加点減点方式で見るとき、苦しさが増します。
結婚していて子供もいて仕事もしているから、すごい。
結婚していない、けれど、ちゃんと仕事をしているからいい。
結婚している、けれど、子どもがいない。
仕事をしていない、結婚もしていないし、できそうもない。だから。



もう、生きているのに理由なんてないことを何となく知っているのに、こんなふうに眺めていることに、嫌気がさします。

私は何点で、あなたは何点ですか。

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